グリーの広告戦略が任天堂フォロー過ぎてヤバい件について。
録画していた正月のテレビを見ていて、目についたのが、グリーのCM。
さんまが出ていておっと思ったのだが、さんまだけでなく笑い飯と絡んだり、村上ショージとかも出てたので、おそらく吉本全部とタレント契約を結んでいるのだなと気づく。
なぜ、おっと思ったかというと任天堂のことを連想したからだ。
吉本のタレントでゲーム業界との関係で言えば、任天堂が3DSのMiiを配信していたことがまだ記憶に新しい。ダウンタウンも含め、総出演という感じでMiiを配信していたことは一部で大きな話題になった。また、個々のソフトではパイロットウイングスリゾートで麒麟の川島が出ていたり、Wiiの立ち上げの頃には、さんまが松岡修造と共演していたりと関係は深い。なので、吉本のタレントがゲームをしているCMといえば、たいていの人は任天堂のゲームを連想するに違いない(カプコンのモンスターハンターでに次長課長・井上が前面に出るみたいな例外はある)。
だから、グリーとしては、そこを計算に入れて、吉本タレントをCMに起用しているのは間違いない。メジャーな吉本タレントをCMに使うことで市民権を得るというのは大前提で、さらにCMを見た人に自然と任天堂という由緒あるゲームメーカーの持つ「真面目さ」を想起させ、コンプガチャなど負のイメージを払拭しようとしているわけだ。
吉本としては、任天堂と契約が切れたのだから、他にどのゲーム会社と組んでも法律的に問題はないし、同じくグリー側にも問題はない。でも任天堂のことは、個人的に好きなので、こういうやり方はズルいなと思う。
グリーと任天堂と言えば、最近、話題になった記事がある。
グリーの面接館が、「任天堂の倒し方はもう分かっている」という内容の発言をしたという報道がされて、一部の反ソーシャルな人たちから失笑を買ったというものだ。
今回のCMを見るに、グリーは任天堂の倒し方を分かっていない。少なくとも任天堂を倒す戦略が、任天堂が切り開いた道を追随するだけということならそれでは任天堂を倒せない。というか、任天堂の後すら追えないだろう。
少なくとも、今回のCMで感じるのは、彼らが単に任天堂のやり方を表面でなぞっているだけで、本質を掴んでいないということだ。
任天堂のCMではタレントは基本的にゲームをちゃんとしている。そして、そこで楽しいなと思ったことをコメントする。さんまですら、Wiiを使って自分の似顔絵キャラを作って楽しんでいた。だからそれを見た人は、ついつい自分でも遊んでみたくなってしまう。岩田社長や宮本開発本部長がゲーム作りにおいて意識しているという「共感」がここにも存在している。端的にいうと、任天堂のCMには、リアリティーがあるのだ。少なくとも、リアリティーを持たせようという意志が感じられる。
一方、グリーのCMではどうか。さんまは「さあ、グリーしよ」と口にして、携帯を手にする。
表面上は任天堂のCMと全く同じフォーマットだが、これはさんまにセリフを言わせているだけだ。なぜなら、このセリフの嘘くささたるや。これからゲームをやろうとする人間が、こんな独り言を口にするだろうか。断言してもいいが、こんなセリフは自然には絶対に出てこない。そして、「グリーする」という言い方は全くの説明用の言い回しだ。グリーとはプラットフォームのことで、やろうとするのは個々のゲームではないのか。「マリオしよう」とはいうかもしれないが、「ファミコンしよう」とは言わないだろう。「グリーしよ」は個々のプラットフォーム名を出したら何のことだか分からなくなるCM独特のセリフなのだ。
そして、何よりも不自然なのが、さんまがグリーのゲームをするだろうか、ということ。おそらくさんまの年の男が一人でグリーに入会するだろうか。しないだろう。そこに何よりも嘘くささを感じる。
このようにグリーのCMは任天堂のそれと比べて、似ているが全く非なるものだ。
ここまで深く考えてCMを見る人はあまりいないだろうが、グリーのCMは共感を産む構造になっていないので、さんまがWiiで遊んでいるのとは違って、このCMを見ることですぐにグリーのゲームで遊びたいと思う人はかなり少ないと思う。
(メジャー感だけが印象として残り、別のきっかけで入会しようとした際に障壁を下げる可能性はある)
岩田社長が数日前の日経のインタビューで、ソーシャルゲームに関して発言していたように、任天堂としては、基本無料で射幸心をあおりユーザーに課金させるソーシャルゲーム陣営に関しては否定的な立場を取っている。岩田社長が否定的なのは、純粋なビジネスモデルだけではなく、こういう彼らのこすいやり方全体も含まれている気がする。