マスコミが真摯であること。トンネル事故の生還を「奇跡の」脱出について。

山梨県の中央自動車道・笹子トンネルで、天井板が崩落した事故で、下敷きになった車両に乗っていたが、ただ一人助かった女性がいたようだ。

 

彼女は、自分がどうやって事故車両から抜け出したかなど全く覚えていないらしいが、ニュースでは奇跡の脱出、などと取り上げられている。

 

女性が助かったことはそれはもちろんよかったことだとは思うけれど、他の被害者の人のことを思えば「奇跡の」なんて安易に言うべきではない気がする。

 

それに、ニュースによると彼女は車に友達や彼氏が同乗していたらしい。助けられた時には、呆然としながらも車の中の友達や彼氏を助けてほしいと繰り返したという。

そのことを思うと、本当に彼女が一人だけ助かったことに素直には喜べない。

 

「神奈川県三浦市の銀行員の女性(28)」

 

この女性がどんな人かは知らないけれど、いろいろ想像することはできる。

 

車に乗って友達や彼氏と過ごす幸せな時間を、そしてその向こうにあった日常を想像すると、とてもつらい。

 

おそらくマスコミはこの事故を取り上げる時には、高速道路会社の点検の不足を糾弾し、崩落したトンネルと同じタイプのトンネルの検査進捗を報告し、その他のトンネルの安全性を検証する。そして奇跡の脱出の女性の存在に安堵するだろう。

 

ニュースとして事実を報じることは必要だ。だが、それを「奇跡」だとかいうべきではないと思う。

 

彼女は何らかの理由で助かった。その原因追求は事故調査委員会がやればいい。そして、その調査の中から自動車の安全性の向上につながる事実が分かれば、そういう事実として報道すればいい。

 

けれど、多分この「奇跡」は繰り返し明るい話題として報道されるだろう。

 

そうすることが視聴者の求めることだと制作者は考えているのだと思うが、視聴者をバカにしているからだと思う。全員ではないにしろ、そういう報道の仕方に私のようにざらざらとした嫌な気持ちを覚える人はいる。

 

そうした人は黙ってテレビのスイッチを消すだろうし、ブログやツイッターでそういった意見を発する人がいればそれがまた広がっていって、まとめニュースなりの反応の中で、テレビはやっぱりダメだとかいう空気が作られることになる。

 

報道機関のことを「マスゴミ」とか一括りに避難するのは乱暴だと思うし、意地悪な人たちの揚げ足取りみたいなところも確かにあるとは思うけれど、そうした評判の原因は、報道する側にも間違いなくあると思う。

 

報道する側も、理性と感情を持っていればある程度のミスは許されると思うし、むしろそういう人間的な当たり前の反応なりがニュースを報道する人への信頼性への担保になると思う。日常生活ではもちろんそうだけど、この人が言っていることなら信用できるな、と思われることってすごく大事だ。

 

視聴者が喜ぶだろうからという理由で偏った見方で内容を編集したりするのは、もうやめた方がいいと思う。

 

視聴者に飽きられているからという理由で、より視聴者に向けた作りをすることで、さらに視聴者が離れていってしまうという循環になっているのは誰が見ても明らかだと思うのだけれど。分かっていながら直せないのかもしれない。